江戸東京たてもの園は平成5年に「江戸東京博物館」の分館として小金井公園内にできた施設です。そもそもこの場所には「武蔵野郷土館」という施設が平成3年まで運営されており、その貴重な資料も江戸東京たてもの園に引き継がれているとのことです。
江戸東京たてもの園の正面玄関
こちらが江戸東京たてもの園の正面玄関になります。
こちらの建物自体、歴史がある建物で、もともとは旧光華殿として1940年に千代田区の皇居前広場に建てられた建造物です。1940年は11月10日から14日にかけて紀元2600年記念式典(神武天皇が橿原で即位した年を紀元元年として2600年目)が皇居前広場で開催されて、そのために建築されました。1941年に小金井大緑地(現在の小金井公園)に移築されて、国民錬成所として使用されました。1943年頃からは教学錬成所へと名称が変更されています。
1954(昭和29)年1月に井の頭公園内にあった武蔵野博物館が小金井公園に「武蔵野郷土館」として移転しました。その際に光華殿も郷土館の入口および展示室として利用されるようになりました。その後、江戸東京たてもの園が開園する際にビジターセンターとして改修されています。
高橋是清邸
1902年(明治35年)に港区赤坂七丁目で建設された建物で、明治から昭和のはじめにかけて国政を担った高橋是清の住まいの主屋部分にあたります。1936年には2・26事件の現場になりました。建物の南側には庭園の一部が復元されています。
高橋是清邸の2階です。「千と千尋の神隠し」で見覚えのある光景です。
高橋是清邸の中では茶房が営業しています。
銭湯 子宝湯
足立区の千住元町で1929年(昭和4年)に建築された子宝湯です。東京の銭湯を代表する建物で、神社仏閣を思わせる大型の唐破風や、玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の折上格天井など贅をつくした造りとなっています。
ここも「千と千尋の神隠し」を制作するのにあたって参考とされた建物になります。
都電7500形 ちんちん電車
園内には都電で利用された電車も展示されています。都電の7500形(7514号)で1962年(昭和37年)に製造されました。都電は専用軌道が多く交通の妨げになりにくかった荒川線を除いて、1969年に廃止されましたので、かなり末期に製造された車両ということになります。渋谷駅から新橋・浜町中ノ橋、神田須田町まで走っていました。所属営業所は青山営業所、柳島営業所、荒川営業所と移りました。
この車両は20年近くの間にわたって、荒川車庫で静態保存されていました。その後、1999年に整備されたのちに江戸東京たてもの園に移されて保存されています。車内には電源が引き込まれているので、あたりが暗くなると車内や方向幕に照明が点灯します。
ボンネットバス (いすゞTSD43)
以前は無かったと思いますが、都電が置いてあるコーナーの横にボンネットバスが展示されていました。このタイプのバスは1952年から製造されて、富士山麓鉄道株式会社(現在の富士急行)で使用されていました。実はこのバスは江戸東京たてもの園のものではなく、個人が所有しているものです。
このバスは実際に動かすことができるので園内を周遊してくれるようです。
小寺醤油店
港区白銀で大正時代から営業していた醤油屋さんです。
武居三省堂 (文具店)
明治初期に創業した文具店です。千代田区神田須田町にありました。
万世橋交番
神田の万世橋のたもとにあった須田町派出所です。こちらのサイトに、まだ万世橋のたもとにあったときの写真が掲載されています。
鍵屋 居酒屋
台東区下谷にあった居酒屋さんです。
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