チャンネルNECOで再放送されている九重佑三子のコメットさんを子どもと一緒に見ています。大場久美子のコメットさんも合わせて再放送されているのですが、九重佑三子のコメットさんの方が何だか手間をかけて作られている感じがして見応えがあります。特にベータンと呼ばれる人形が動くシーンは気が遠くなるほど大変な手間がかけられているのではないでしょうか。
コメットさんに出てくる不思議な建物
そんなコメットさんを見ていると、坂道に沿って立方体の奇妙な建物が建っているのが見えました。カラーになってからなので23話か24話くらいだったと思います。
建物の様子はこちらのTwitterの写真がインパクトがあります。丘の上に建っているのですが、下から見ると本当に圧巻です。
岡本富士見坂の近く
この建物、いったい何の建物なのだろうとネットで情報を探したところ、すぐに見つかりました。通称「百窓」という名前の建物で世田谷区の岡本というところに実在していたようです。すぐ近くには富士山が見渡せるスポットとしても有名な岡本富士見坂(岡本三丁目の坂)があります。こちらは本当に急坂で自動車で通行する際は下り方向の一方通行です。
国分寺崖線を登る坂道で、とても印象的な坂道です。そんな坂道なのでたくさんのドラマなどのテレビ番組のロケで使われてきました。たとえば、中村雅俊さんが出演していた「俺たちの旅」などで登場します。
こちらが坂の下、コヤマドライビングスクール成城の方向から見た岡本富士見坂です。奥の方にすごい坂道があることが判ると思います。
さらに坂に近づいてみます。下る方向への一方通行なので、下からは進入禁止の道路標識があります。
坂を上ってみます。車が走る部分は坂道になっていますが、歩行者が歩く部分は階段になっています。
百窓の家は残念ながら現存せず
この坂を上り切ったところの右側の丘の上に百窓の建物がありました。昭和40年7月から昭和41年5月にかけて建てられました。設計されたのは林泰義さんと富田玲子さん。「試みられた起爆空間」という名前が付いています。しかし、残念ながら昭和60年ごろに建物はなくなっていて、そのあとはマンションが建っています。
この百窓という建物、特に集合住宅というわけではなく、あくまでも個人の方の家だったという情報がありました。芸術家の方が住んでいた、社長が住んでいた等、情報はいくつかありましたが本当のところは判りません。
また、コメットさんだけではなく、色々な特撮ものでロケに活用されていたそうです。撮影所からも比較的近かったのがその理由なのでしょう。すでに今では取り壊されてしまい、実物を見ることはできないことが非常に残念でなりません。
百窓の由来
なぜ百窓のという名前なのかも合わせて調べてみると、東西南北の各面に5x5=25の丸い窓が付いていて、これが4面あるので百窓という愛称になったようです。正式な名前は「試みられた起爆空間」、何だかスゴイ名前です。
実際の百窓のロケ地はどこなのだろうと思い探していると、こちら「コメットさん日記」に情報がありました。全79話の色々なロケ地が網羅されています。
ウルトラセブンにも百窓は登場
調べていくうちにウルトラセブンの「遊星より愛をこめて」という作品にも百窓が写っているという情報を見つけました。この遊星より愛をこめては放送禁止になった作品なのですが、Youtubeに5分割されて登録されている情報がありました。(この作品に出てくるキャラクターに対してクレームが多く放送禁止になったとのことです)
実際にYoutubeで検索をしてみると確かに登録されていました。1/5から順番に見ていくと、確かに2/5に百窓の家がうつっています。コメットさんで出てくるときにはスゴイ坂道の上に建っているという印象なのですが、こちらのウルトラセブンでは平坦な道の向こう側に建っているように見えます。撮影している方向が違うのでしょうか。螺旋階段をのぼっていくシーンもあるのですが、これは百窓の螺旋階段でしょうか。興味深いシーンでした。
さらに見ていくと3/5では百窓の家が爆破されるシーンまでありました。百窓の家の建っているところは広い広場であったことが判ります。ミニチュア模型か何かで撮影をしていると思うのですが、粉々になった家が痛々しい感じです。爆破のあとに子どもたちが逃げていくのですが、この逃げていくシーンではコメットさんで出てくる坂道が使われているように見えました。
ほかに、百窓のペーパークラフトも公開されています。こちら「ペーパークラフト」のページで公開されていますので、週末に時間をとって作ってみたいと思っています。(公開先のページが無くなったのでリンクを外しました)
映画「社長繁盛記」にも登場
1968年1月に公開された映画「社長繁盛記」にも百窓は登場しています。こちらのツイートで知りました。牛乳配達がまだ行われていた頃の貴重な映像だと思います。
これだけ特徴的な建物が現存していないというのは、とても残念です。できれば、江戸東京たてもの園のようなところで保存してもらえると本当に嬉しかったです。
(2007/05/20追記)
現地訪問
百窓があったと思われる場所に行ってみました。下記の記事からどうぞ。
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