新日本紀行ふたたび「長崎県奈留島」と荒井由実さんの「瞳を閉じて」

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大連-YUMING

SONYのスゴ録が「新日本紀行ふたたび」というNHKの番組を録画していました。なぜ、この番組が録画されていたのか判らぬまま見てみると、長崎県の五島列島、奈留島というところが舞台になっています。

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新日本紀行ふたたび

この新日本紀行という番組そのものは昭和38年から昭和56年まで放送されていた番組で、既に26年も前に放送が終わっている番組ですが、当時の番組を振り返り、その30年近くたった今を「新日本紀行ふたたび」という番組名でまた放送を進めているようです。


なお、昭和38年から昭和56年まで放送された番組はこちら(NHKは何を伝えてきたか 新日本紀行 ―放送番組全記録一覧+番組公開ライブラリーリスト)で公開されています。

奈留島と荒井由実さんのつながり

今回の特集、奈留島には素晴らしいエピソードがあります。この島にある長崎県立奈留高校ですが、当時この学校は福江島にある高校の分校で、自校の校歌がなかったため、本校の校歌を歌っていたそうです。

そんな高校に通っていた生徒がラジオの深夜番組に、「校歌を作って欲しい」という手紙を出してこの希望を荒井由実さんがかなえて、「瞳を閉じて」という曲を作りました。この曲は荒井由実さんの『MISSLIM』(ミスリム)というアルバムに収録されています。このアルバムは荒井由実時代の名作とも言える作品で、今でもCDで入手することができます。

この曲は奈留高校の職員会議でも校歌として採用するか否かかなり議論が行われたようです。この曲がうまれるまでの軌跡については昭和51年に放送された新日本紀行の中で特集されています。

この放送の中では手紙を送った生徒がインタビューにこたえているほか、荒井由実自身も「瞳の閉じて」を番組の中で歌っていたようです。

そして、昭和52年の卒業式で分校の扱いから奈留高校という独立した高校になったのをうけて、初めて愛唱歌という位置づけで「瞳を閉じて」が歌われました。

また、昭和63年年には奈留高校に「瞳を閉じて」の歌碑が作られて、その除幕式にはYuming自身も参加しました。

長崎県立奈留高校の校歌と愛唱歌については、こちら(校歌・愛唱歌)のページで公開されています。

校歌・愛唱歌
長崎県立奈留高等学校ウェブページへようこそ!

【2023年3月25日】

よみがえる新日本紀行 選「歌が生まれてそして 長崎県奈留島」

よみがえる新日本紀行として、昭和51年に放送された「歌が生まれてそして 長崎県奈留島」が放送されました。当時の番組を4K画質でそのまま放送して、さらに番組の最後には森田美由紀アナウンサーが今の奈留島の様子を解説してくれます。

この番組を見て驚いたのは、47年がたった今、島の人口はおよそ2000人となり、奈留高校の生徒は300人から32人になってしまいました。これだけ急速な過疎化が進んでいることは本当に驚きです。

そのうち、三年生は7人、この中の四人は島の外から来た離島留学生です。自然や特定の科目に関心がある若者が全国から集まってくるのだそうです。

愛称歌となった「瞳を閉じて」は今でも島の小学生が大切に歌っているほか、吹奏楽部でも演奏されていました。瞳を閉じての歌詞に出てくる奈留島から見える海の青さは今も変わりません。

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