味の素スタジアムでa-nationの様子を見たあと、そのまま北へと向かいます。味の素スタジアムから北へ向かうと、野球場やサッカーグラウンドなどが並んでいて、子どもたちが球技をしています。
そんなグラウンドの横をどんどん走っていくと、今度は武蔵野の森公園があります。
こちらの駐車場を見ていると、凄い車がならんで停まっていたので、ちょっと遠くから写真を撮ってしまいました。遠方からa-nation2008を見に来たのでしょうか。
そして、小高い丘を登っていくと、調布飛行場全体を見渡すことが出来ます。荒井由実さんが中央フリーウェイの中で、「調布基地を追い越し」と歌った場所です。
調布飛行場は小型飛行機が離発着しているほか、伊豆七島への定期便もここから飛んでいるようです。(新中央航空株式会社 オフィシャル ホームページ トップページ)
今日は格納庫のシャッターも閉まっているところが多くて、小型飛行機の離発着も見ることが出来ませんでした。空を見ると入道雲があちらこちらにあって、気圧が不安定な様子なので、飛行を見合わせているのでしょうか。
そして、今度は武蔵野の森公園を通り調布飛行場の北側へと向かいます。こちらは、武蔵野の森公園の中でも比較的最近になって整備された部分になります。
この北側の部分には掩体壕と呼ばれる戦時中に飛行機を隠すために作った設備を2つ見ることが出来ます。
施設の横にある掲示板には下記のように説明が書かれていました。蓋が付いているタイプのものは全部で30基も作られたのだそうです。そのうち、現在残っているものは4基になります。武蔵野の森公園の中には4基の内の2基があることになります。
「掩体壕」とは、軍用機を敵の空襲から守るための格納庫で、目的は「本土決戦」に備えて、残り少なく貴重な飛行機を温存するためでした。
太平洋戦争における戦況が悪化する昭和19年(1944年)頃から、コンクリート製掩体壕約30基(有蓋)と土塁で造ったコの字型の掩体壕(無蓋)約30 基の約60基が短期間に造られました。建設は主に陸軍と建設会社があたり、地元の植木組合や中学生も大勢動員されました。
掩体壕と飛行場は誘導路で結ばれ、飛行機にロープを結びつけて人力で運びました。調布飛行場周辺には、武蔵野の森公園内の2基と府中市に2基の掩体壕が残っています。武蔵野の森公園の掩体壕は戦争の記憶を残す証拠とし、「平和への語り部」として保存しています。
戦時中に使われていた施設が未だに残っていることに感心しつつ、見学しました。ちなみに調布飛行場は昭和20年にはこんな(hikojo-1200-3.gif (GIF 画像, 1198×975 px) – 表示倍率 (59%))に広かったのだそうです。
そして、武蔵野の森公園を抜け出して、野川に出ました。
ここを少し上流に遡って、野川公園へと出ました。
【2021年4月6日追記】
三鷹大沢わさびは「幻のワサビ」
三鷹市の大沢という場所は駅から離れていることもあり自然が残されている場所が多いです。その中でも野川の周辺は自然が多く残されている場所の一つです。この野川沿いの国分寺崖線沿い、水が湧き出している場所では「三鷹大沢わさび」が栽培されています。東京新聞の記事によればこのワサビが三大品種のどれにも属さないとても珍しい品種であることが判ったそうです。
ここのワサビ栽培の始まりは、伊勢(三重県)出身の箕輪(小林)政右衛門が、故郷の五十鈴川流域から持ち込んで栽培を始めたと伝えられています。このワサビはDNA鑑定の結果、岐阜県山県市の山間部で自生している野生種と一致しました。五十鈴川上流域では昭和初期までワサビ栽培の記録が残っていた。だが、現在は温暖化など環境の変化で絶滅してしまったのだそうです。したがって、この大沢で栽培されているワサビがとても貴重なものだと判りました。
最近では宅地化などの影響で、この大沢でも湧き水の量が減っているのだそうです。ぜひ、雨水浸透桝などを整備して、ワサビ田が今後も長く続いていくことを期待しています。
【2022年7月25日追記】
大沢のわさびが復活へ
三鷹市大沢のワサビ田で約二百年前から栽培されてきた「三鷹大沢わさび」は、現在は農業としては生産が途絶えてしまっています。三鷹市では復活を目指して栽培実験を2023年から始めることを発表しました。業者に委託して培養苗を千本作り、地区に五百平方メートルのワサビ田を再整備して移植します。なかなか、三鷹市でわさびを育てても商業ベースにのせるのは難しいところがあるのだと思いますが、どんな味がするのか一回は食べてみたいと思います。
コメント