群馬県の横川駅の近くにある「碓氷峠鉄道文化むら」というところに行ってきました。信越線の横川駅と軽井沢駅の区間は碓氷峠という険しい峠があり、この区間を鉄道で超えるのは非常に大変でした。
鉄道開通当初は「アプト式」というレールの真ん中に敷かれたギザギザのレールと車体側に付いた歯車を組み合わせて傾斜を登る方式が採用されていました。その後、強力で安全技術を駆使した電気機関車の開発によりアプト式は廃止されて粘着式の運転になり、さらにその後は長野新幹線(北陸新幹線)の開通により、横川・軽井沢間自体が廃止されてしまいます。
そんな廃止された横川周辺の鉄道用地を利用して、碓氷峠鉄道文化むらが作られました。
前回訪問したのは2007年なので今回は2年ぶりになります。(横川にある鉄道文化むらに行ってきた(その1))
横川駅はどこ?
横川駅というところは、軽井沢駅のひとつ手前の駅なのですが、ここから軽井沢にかけては、碓氷峠という難所があり凄い急坂を登っていかなければいけません。昔はここで特急電車や各駅停車などすべての列車には補助機関車を連結して峠越えをしていました。
したがって、この横川駅では補助機関車の連結・切り離し作業があるので、どの列車もしばらくの間は停車します。この停車時間を使って販売されていたのが、おぎのやの峠の釜飯になります。
おぎのやドライブイン
今回も碓氷峠鉄道文化むらに入る前に、おぎのやのドライブインに入って、峠の釜飯を食べました。横川駅の近く、国道沿いにあります。
この峠の釜飯を食べると、碓氷峠に着いたんだなという感じがこみ上げてきます。おぎのやのドライブインをあとにして、数分で鉄道文化村に到着です。午後1時ごろに着いたのですが、駐車場が満杯になってしまっていました。
やはり高速道路1000円の制度を利用してきたお客さんがたくさんいるのでしょう。運良く正門の右側にあるエリアで駐車場の空きを見つけたので、こちらにラフェスタを駐車して展示施設へと向かいました。ちなみに駐車料金は施設を利用する人であれば無料です。
しかし、長野新幹線が運転を開始した際に、この横川駅と軽井沢駅の間については廃止されてしまいました。運転にあまりの多くの費用がかかり割りにあわないためです。したがって同区間ではバスが運転されています。
碓氷峠鉄道文化むら
碓氷峠鉄道文化村はこの廃線跡と電気機関車の機関区を整備してオープンした施設です。車両については、この碓氷峠にゆかりの深い車両のほか、高崎運転所に集められていた歴史的な車両が一同に集められました。
アプト式機関車
この碓氷峠については明治の時代に開通した際には、アプト式という線路と線路の間にギザギザのついたレールがもう一本ひいてある、非常に珍しい形式の鉄道でした。
機関車側に歯車がついていて、このギザギザのついたレールの上を歯車が絡み合って運転されます。したがって、普通の機関車では滑って登ることが出来ないような坂でも上ることが出来ます。開通してしばらくはアプト式の蒸気機関車で運転されていましたが、この区間はトンネルが多くて煙がこもってしまうので、かなり早い段階で電化されてアプト式の電気機関車が取り入れられました。
第三軌条方式
これも鉄道文化村で初めて知ったのですが、最初の電化のときには第三軌条方式で給電していたそうです。この方式は東京の地下鉄丸ノ内線や銀座線など古くからある地下鉄で採用されているのと同じ方式で、2本のレールとは別にその外側で電気を流すためのレールを一本敷設し、そこから給電していました。駅の構内などでは安全面から架線からの給電を併用していたそうです。
ED42型電気機関車
このアプト式電気機関車についても何世代かの世代交代があり、比較的後期に活躍したのが、ED42という電気機関車です。この鉄道文化むらではこのED42の1号機が大事に展示されています。
ED42に付けられた歯車も近くから観察できます。
そして、新線が建設されて、今度はアプト式ではなく粘着式運転方式の電気機関車が導入されました。
EF63型電気機関車
粘着式運転方式が取り入れられた際に、EF63型電気機関車が投入されます。EF63は1962年に試作一号機が作られて、その後、粘着式移行までの期間で2号機から13号機までが作られています。
このEF63型電気機関車も機関庫の中に保存されていました。この機関車はサイドのパネルが取り外されているので、電気機関車の中がどのようになっているのか、実物を見ることが出来るようになっています。
EF63は碓氷峠の区間が廃止になった1997年まで世代交代することなく活躍を続けました。
ヨ3500車掌車
ちょっと変わった車輌としては、車掌車が展示されていました。ヨ3500という形式の車掌車です。
1985年3月のダイヤ改正までは貨物列車の最後尾にはこのような車掌車が連結されていました。いったい、車掌車の中がどんな風になっているのか非常に興味があったので、この機会に見学してみることにします。
結構、車内は広くて、両サイドにロングシートがありました。ロングシートに挟まれるように真ん中にはダルマストーブが置いてあります。WIKIPEDIAを見てみると、「本車はED42形電気機関車を動態復元した際に、600V専用機であるED42 形式を1500V架線下で走行させるため、ED42 形式のパンタグラフからの母線を一旦本車に引き込み600Vに降圧する目的で、車内に抵抗器を搭載する改造が行われている。」という記載があるのですが、そんな様子は車内からは見られません。もしかすると、元の姿に戻すための改造が再度実施されたのでしょうか。
オハユニ61型客車
続いて、オハユニ61という珍しい客車を紹介します。1台の客車の中が、普通座席部分、郵便車、荷物室の3種類の部屋に仕切られています。地方のローカル線などで、あまり編成を長くしたくないときには、このような車輌が重宝したのではないでしょうか。
まずは座席部分です。木造の作りが何と言ってもレトロな雰囲気を漂わせています。
その奥にあるのが郵便車です。細かい仕切りが付いた棚があるのが判ります。ここに郵便物を小分けにして配送したのでしょう。
そして、さらにその奥にある荷物室です。こちらは非常に頑丈な作りになっていることが判ります。
さらに調べてみると、このオハユニ61は大正10年に作られた木造客車のナハ24 644を昭和30年に鋼体化した車両の生き残りであることも分かりました。このオハユニ61 107は最終的に東北の五能線で使われていましたが、1987年に除籍、その後、高崎での長期留置を経て、碓井鉄道文化むらで静態保存されました。
古い客車は全長が短く木製でしたが、戦後直ぐに八高線での列車転落事故などで客車が壊れて大きな被害が出たため、木造車の台車とフレームを流用して鋼体化された客室部分をのせて改造が行われました。フレームは全長が短いので、廃車予定の木造客車のフレームを溶接して長さを伸ばしたとのことです。
国鉄時代の気動車はとても郷愁があります。
旧型の電気機関車や客車も多数展示されています。
オシ17型食堂車
続いて今ではほとんど見ることが出来なくなった食堂車です。オシ17という形式です。
車内は後年に電気機関車の訓練設備が増設されて改造されていますが、車輌の半分には食堂車っぽい雰囲気が残っています。
ほかにも色々な車輌が展示されていて、丹念に見て回ると、3時間程度が必要だと思います。また、建物の中に行くと、ジオラマ模型による模型列車の運転もされています。こちらは碓氷峠をテーマにした解説もあり、碓氷峠の歴史を簡単に学ぶことが出来ます。
こちらは2024年に撮影した写真です。
国鉄の時代に実施されたキャンペーンの数々のポスターが展示されていました。一枚のキップから、DISCOVER JAPAN、いい日旅立ち、どれも懐かしいキャンペーンです。
前回来たときよりも、一部の車輌は塗装がはがれてしまったり痛みが出てきていました。貴重な車輌が数多くあるので、是非、整備の方もすすめていってもらえればと思います。
碓氷鉄道文化むらの公式サイトはこちらです。
【2020/10/25追記】
車両の清掃&ペイントイベント
碓氷峠鉄道文化村では2020年11月7日に展示車両の清掃&ペイントイベントが開催されます。
屋外展示の車両が対象で今回はEF63型電気機関車の1号機が対象です。碓氷峠鉄道文化むらの公式サイトで参加申込みができます。
【2021/04/25追記】
ED42の模擬走行
ゴールデンウイークのの特別イベントで5月3日にはアプト式電気機関車のED42を模擬走行させることが決まりました。いつもは静態保存されているので自力で走ることはできませんが、機動かモーターカーに連結させて走行させます。走行は車庫から搬出、搬入のタイミング、時間は午前11時と午後2時半、また当時と変わらない汽笛も披露してくれるそうです。
【2022/03/13追記】
ゆるキャン△第13巻に登場
ゆるキャン△という漫画の第13巻に碓氷峠鉄道文化むらが話題の中で登場しました。「横川鉄道博物館」という名前になっています。「レトロな電車を集めた博物館があるらしい」という形で話題に出ています。
コメント
めがね橋(碓氷第三橋梁)を見学しました
軽井沢に行く際、あえて松井田妙義インターチェンジで一般道におりて、軽井沢まで…