千葉県香取市の伊能忠敬の記念館と江戸期の貴重な建造物である旧宅を見学

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伊能忠敬の記念館

 あみプレミアムアウトレットを見て回って、まだ時間に相当の余裕があったこと、そして、霞ヶ浦の方面はあまり観光で来たことが無かったので、近くの観光スポットを見てみることにしました。iPhoneで観光地を探している中で見つけたのが、今回紹介する伊能忠敬の記念館です。

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伊能忠敬

 この伊能忠敬という人のことは学校で習った方も多いのではないでしょうか。江戸時代に日本全国の測量をして地図を作った人です。本当であれば、隠居をしても良さそうな年齢になってから精力的に日本全国をまわり測量をして地図を作りました。なぜこの人はそんな年になってから日本全国をまわって地図を作ろうと思い立ったのか、その経緯にとても興味がありましたので、阿見からはかなり離れていましたが記念館に行ってみることにしました。

 ナビで案内してもらったのですが、古い町並みの街道筋に入ってみると、どこに記念館があって、どこが駐車場なのか全く判りません。途中、乗用車1台500円の有料駐車場がありましたが、ここは一杯になってしまっているようです。ガイドブックには数十台のクルマを停められる専用の無料駐車場があると書いてあったのでそのまま走りつつ探してみました。すると、街から離れていってしまいました。途中でUターンしてまた街を目指します。

駐車場

 すると伊能記念館西入口という意味深な名前の信号があったので、ここで曲がってみることにしました。するとほどなくして、左手側に記念館の駐車場が見つかりました。

伊能忠敬記念館の駐車場

 駐車場から記念館までは歩いて1分もかかりません。途中には一等水準点もありました。

一等水準点
伊能忠敬記念館の全体像

入館

 記念館の入館料は大人500円です。そして記念館の中は下記のようにブロックに分けられていました。

伊能忠敬の自画像

「佐原時代」

 伊能忠敬が佐原に暮らしていた時代のことが紹介されています。伊能忠敬は佐原に婿として伊能家に入ったのだそうです。そして、伊能家ではお酒を販売する商人でしたが、その売り上げを3倍に増やすなど実績を残したことが紹介されていました。17歳で佐原に入婿した伊能家や当時の佐原の様子と、その後隠居するまでの忠敬の活動と勉学の内容について紹介します。

「全国測量へ」

 忠敬は隠居してから高橋至時という人のもとについて、測量や天文観測を学んだそうです。もともと、伊能家では測量が行われていたようで、高橋至時から習う前にもある程度の知識はあったのではないかと思いますが、本格的に学びたかったのでしょうか。その後、56歳で第一回目の測量へと旅立つことになります。

「伊能図の完成」

 伊能忠敬が作った地図を展示しています。現在の地図と待避する形で展示されていたりして、非常に精度が高かったことが判ります。

2024/06/23追記

伊能忠敬の日本地図は緯度よりも経度の誤差が大きく、その理由は経度の誤差は時計の精度に大きく左右されるからと紹介されていました。南北の緯度は北極星の高度なので分度器で測りますが、東西の経度は南中時刻のズレだから南中高度と時計で測る、江戸時代には精度の高い時計がないので経度の誤差が大きく出るというのは興味深い話しです。

「地図の世界」

 伊能忠敬以前の日本地図も含めいくつかの地図が展示されていました。世界地図の歴史も判ります。

 残念ながら「伊能大図」のうち、幕府に献上された正本は明治初期1873年の皇居炎上で喪失してしまったそうです。また伊能家で保管されていた写しも関東大震災で焼失されたと紹介されていました。Wikipediaによれば、その後、2001年にアメリカの議会図書館で写本207枚が発見されたり、国立歴史民俗博物館、国立国会図書館、海上保安庁海洋情報部などでも見つかり全容がつかめるようになりました。

伊能忠敬旧宅

 少し離れたところに伊能忠敬が住んでいた旧宅が残されています。別エントリーで紹介します。

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