江戸東京たてもの園の特集企画「甲武鉄道と多摩」

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中央線-お茶の水

江戸東京たてもの園で子どもがイベントに参加しているときの待ち時間で、江戸東京たてもの園だよりという小冊子を読んでいました。

その、34号では、江戸東京たてもの園で平成22年に実施された、甲武鉄道と多摩という展示に関する解説がのっていました。中央線開通120周年記念で展示が行われたようです。

明治維新後に玉川上水に舟運の認可がおりたものの、二年で廃止されてその後は玉川上水沿いに羽村から新宿まで馬車鉄道を引く計画があったそうです。

この計画についてはその後変更されて、目的地を羽村ではなく八王子として鉄道敷設の認可がおりました。そして、明治22年の4月11日に新宿から立川までが営業運転を開始しました。その後、8月には立川から八王子まで延長されています。

当時の駅は、

・新宿駅
・中野駅
・境駅 今の武蔵境駅
・国分寺駅
・立川駅
・八王子駅

しかなく、新宿から立川までだけでも、1時間もかかっていたそうです。当時は蒸気機関車で客車を牽引していた時代なので仕方がないことなのでしょう。

しかも、列車は午前中に二本、午後に二本の四本だけで、今とは非常に違うことが判ります。立川から新橋へ直通する列車もあったようですが、こちらの所要時間は1時間44分から45分でした。

次に開通したのは、立川と八王子の間です。新宿から八王子までの区間は4往復の運転でした。新宿から八王子までの所要時間は1時間14分から17分です。

1890年には新宿から八王子までの列車の運行回数は5往復に増えました。1894年には新宿から牛込までが延伸されました。翌年には牛込から飯田町までが延伸され、新宿から飯田町までが複線になります。

飯田町駅は現在はありませんが、飯田橋駅の近くに側線が残っているところから少し南側に線路が突き出るように伸びていました。最近までは貨物駅として利用されていましたが、その貨物駅も廃止されて、今では付近は再開発されています。

このように順次延伸が続けられて、今の中央線は大動脈の一つになりました。

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