楽天レンタルで毎月8枚のDVDまたはCDを借りています。レンタルリストに登録していると、在庫が確保できれば、上から順番に送って来てくれるので便利です。
しかし、ジブリ作品の「コクリコ坂から」は人気作品ということもあって、なかなか送られて来ませんでした。地上波でもすでに1月に放送されたようですが、それすら見過ごしてしまい、6月末になってようやく楽天レンタルからDVDが送られて来たので、見てみました。
時代設定
まず、映画が描いている時代ですが、間違えなく、昭和30年代です。クルマを見ていても、まだオート三輪が前面で活躍していますし、炊飯器がありません。ただ、ガスは供給されているようです。
主人公は横浜で暮らす高校2年生の海です。原作の姓は小松崎でしたが、ジブリ映画では松崎となっています。声は長澤まさみさんが担当しています。お父さんは船乗りでしたが、海が幼い頃に亡くなってしまいました。朝鮮戦争で最前線の戦闘に加わったものではありませんが、海上の機雷除去や物資の支援を通して米軍側に日本人が支援しており、少なくない数の日本人が命を落としているそうです。お母さんは大学で助教授をしていて、家にはほとんどいません。
ヒナゲシ
コクリコはフランス語でヒナゲシを意味します。原作の漫画は1980年1月から8にかけて「なかよし」に8回にわたって連載されました。その後、講談社から単行本が発売されました。佐山哲郎さん原作、高橋千鶴さん作画です。
物語の時代設定に話しを戻すと、東京に行く時に乗っていた電車は、色が茶色で、窓の部分が三段式になっていました。
昭和38年の横浜
調べてみると、昭和38年の横浜を舞台にした映画なのだそうです。昭和38年といえば、ちょうど今から50年前にあたります。東京オリンピックの前の年、まだ、新幹線は開業していない高度成長期の真っ只中という時代です。(また、昭和38年は宮崎駿監督が東映動画に入社した記念すべき年でもあるそうです)
モデル
さらに調べると、コクリコ荘があった場所は港の見える丘公園の神奈川近代文学館の場所を想定しているそうです。
海がたびたび歩く坂道は港の見える丘公園の裏手にある谷戸坂です。コクリコ荘自体のイメージは山手エリアにある西洋館が参考になっています。
エリスマン邸
山手234番館
ほかにホテルニューグランド、マリンタワー、氷川丸、山下公園も映画の中では登場します。
横浜市電も映画の中では出てきました。
学生が集まって実施している弁論大会、弁論大会で大荒れの最中に先生が見回りに来た際に学生一堂が歌を合唱するシーン、学生活動の本拠地であるカルチェラタンなど、面白い描写もありました。
この明治時代に建てられた老朽化の激しい高校の男子部室棟であるカルチェラタンの取り壊しに反対する姿が物語の一つの主軸になっています。映画の後半では学園の理事長である徳丸氏と面談し、実際に徳丸氏にはカルチェラタンの現地まで来てもらい建物の保存を約束してもらうことができました。この徳丸氏の声は、半沢直樹でも活躍している香川照之さんです。
徳丸理事長のモデル
また、この徳丸ビルと徳丸理事長はスタジオジブリ設立時に出資した徳間書店とカリスマ的な創業者の徳間康快氏がモデルになっているそうです。
また、街で流れている曲は、坂本九の「上を向いて歩こう」でした。1961年にリリースされましたが、1963年にビルボードで1位を獲得しています。この頃、確かに街で流れていたのでしょう。
ストーリーは非常に分かりやすく、主人公の気持ちの動きが丁寧に描かれていました。
こちらの「コクリコ坂から」、興行収入は76.9億円を記録しました。
【2020/08/21追記】
地上波再放送
4年ぶりに2020/08/21、地上波の金曜ロードショー枠で放送されます。地上波で放送されたのは、1回目が2013年1月11日、2回目が2016年8月12日でした。1回目の視聴率は13%、2回目の視聴率は9.6%とWikipediaに記録されていましたが、今日の放送ではどんな視聴率になるでしょうか。
どんなストーリーであったか、かなりの部分、忘れかかっているので、記憶を呼び起こしながら新鮮な気持ちで見たいと思っています。
エンディングカット
今回、地上波では本編ノーカットで放送されたのですが、なんとエンディングがまるまるカットされてしまいました。ネットでは余韻が全くないと批判する声も多いです。
エンディングには協賛する企業の名前なども出てきて、スポンサーの関係でそのままでは放送できない等、なんらかの理由はあるものだと思います。ただ、提供するスポーサーもエンディングで出てくる企業の名前等は大間に見ても良いのではないでしょうか。
【2020/12/30追記】
宮崎吾郎監督のドキュメント
NHKで「コクリコ坂・父と子の300日戦争〜宮崎駿・宮崎吾郎〜」という番組が再放送されていました。石田ゆり子がナレーションをしている2011年8月の作品です。
宮崎吾郎さんは大学を卒業した後、公園を設計する職業に就いていたそうです。しかし、鈴木敏夫プロデューサーが三鷹の森ジブリ美術館を建設するときに宮崎吾郎さんに声をかけたのが映画の世界に足を踏み入れた始まりなのだそうです。アニメ映画作成の経験がない自分が足を踏み込んだら大変なことになることは分かっていたもののオファーを断らなかったそうです。このとき、宮崎駿さんは大反対したのだそうです。そんな宮崎駿に宮崎吾郎は1枚の自分で描いた絵を渡して宮崎駿を納得させたのだそうです。そうして生まれたのがゲド戦記です。
映画「コクリコ坂から」を作る中で監督の宮崎五郎がどんなことで苦悩したか、宮崎駿はどんな形で吾郎に寄り添ったかが丁寧に描かれているドキュメンタリーでした。宮崎吾郎が悩んでいたのはコクリコ坂からの主人公のキャラクターに関してです。少し影のある少女を描こうとしていましたが、映画全体が暗い雰囲気になってしまい興行収入的に厳しい結果になるため今のままでは公開できないと言われてしまいます。
そこに宮崎駿が一枚の橋を前のめりで走っていく主人公の絵を吾郎に差し入れます。この絵を見て、はつらつとした少女を描く路線に変更されて今回の作品になりました。
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