所沢航空記念公園にある航空発祥記念館で開催されている堀越二郎の生涯という展示と大型映像館での映像を見て来ました。
映像の方は、零戦の特徴に関する紹介、藤岡歴史館に資料が寄贈されることになった背景、堀越二郎の長男へのインタビュー、そして、そのインタビューを介して、所沢航空発祥記念館に貴重な資料が寄贈されることになった紹介、2013年4月1日の零戦始動の紹介などから構成されていました。
堀越二郎に関するものは、親族が所有する蔵にたくさん保管されていたらしいのですが、蔵を無くす際に大半のものを捨ててしまったそうです。機会を逸したことに関して、無念そうに藤岡歴史館の方が話しをしていました。
ただ、その中の一部だけでも残っていたのは、良かったと思います。
また、長男の方のところにも遺品が数多く残っていたそうですが、こちらも捨ててしまったことを残念そうに長男の方が話していました。ただ、屋根裏などにはまだ遺品が残されていたそうで、これが今回、所沢へ寄贈されました。
また、堀越二郎本人と長男の方は、2,3回一緒にゴルフに回ったことがあるそうですが、父親がパターやアプローチがあまりうまくなかったということを答えていました。
また、長男の方から見た父親の印象についても答えていました。まだ、小さいときには堀越二郎は子供が朝起きる前に会社に行って、子どもが寝てしまったあとに帰ってくるような生活をしていたので、あまり印象に残っていないようでした。
しかし、ある日、勉強をみてやると言われて数学を教わったときに、あまりにも出来が悪かったので怒られたということを話されていました。堀越二郎は娘からも怖いと言われていたようです。この頃は終戦後で堀越二郎も一番苦悩していた時代なのではないかと話していました。
零戦のエンジンは改良が加えられた中で、当初の三菱製から性能がより高かった中島飛行機製になったそうです。
このエンジンが回るときの音は、ブルルンという感じの重厚な音がしていました。クルマのエンジンとはまるで違います。また、小さな駐車場のようなところで始動していたのですが、実際に零戦は地面の上を走っていました。こまめに曲がるので、何だかとても不思議な乗り物に見えました。狭い航空母艦の上では、これくらい小回りが効かないといけなかったのでしょう。
藤岡歴史館で上映されていたビデオと同じものかもしれません。藤岡歴史館では映像は見られなかったので、所沢で見ることができて良かったです。
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