日経新聞のサイトに「東京ふしぎ探検隊」という特集があります。こちらでは東京近郊の地域に関する知られざる歴史などが紹介されていて興味深い記事が数多くあります。
この中に町田や吉祥寺は昔は神奈川県だったことを紹介する記事がありました。町田は確かに神奈川県に隣接しているので理解できるところもあったのですが、吉祥寺は神奈川県から少し離れているので、意外だと思いました。他に八王子や調布、成城なども神奈川県に属していたそうです。
今でも三多摩という言葉が残っていますが、これは北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡の総称でした。今でも、西多摩郡瑞穂町などは残っていますが、最早、北多摩郡と南多摩郡は聞かないように思います。
北多摩郡には現在の
武蔵野市、西東京市、三鷹市、立川市、昭島市、世田谷区の西部、狛江市、武蔵村山市
などが属していました。また、南多摩郡には現在の
町田市、八王子市
が属していました。これらは1871年の廃藩置県のときから神奈川県だったようです。
その後、1893年に三多摩が当時の東京府に移管されました。この理由は当時の東京府民が飲む水の水源が西多摩郡、北多摩郡、南多摩郡を貫いており、これらの水源の管理のためには東京府に編入した方が良いという結論になったようです。
この水源というのは多摩川水系や玉川上水などを指しているのでしょう。やはり、記事の中では、玉川上水に関する記載がありました。他に政治的な理由にも言及されていました。
北多摩郡がいつまで残っていたのかを調べてみました。最後に北多摩郡から離脱したのは、村山町で1970年のことです。村山町は武蔵村山市になりました。意外と最近まで北多摩郡が残っていたことに驚きました。
一方で南多摩郡についても調べてみました。こちらは最後まで稲城町と多摩町が残っていましたが、1971年にそれぞれ稲城市、多摩市となり、南多摩郡から離脱しました。これにより南多摩郡が消滅しています。北多摩郡と南多摩郡はほぼ同時期に消滅したことがわかりました。
西多摩郡については、一部は市政を施工して郡から離脱していますが、今でも、
奥多摩町
日の出町
瑞穂町
檜原村
の四つが残っています。西多摩郡については山間部も含まれていて、市政をひくのが難しそうな場所もあるので、今後も残って行くのでしょう。
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