中山道の宿場町の一つである奈良井宿というところに行きました。中山道の中でもこの木曽路は古来交通の要所として栄えました。この木曽路の中でも最大の難所が鳥居峠でその北に位置する奈良井は特に栄えたそうです。奈良井千軒とも呼ばれていました。
慶長7年に徳川家康が中山道の宿駅を定めた中でこの奈良井宿も定められました。近世、奈良井では檜物細工、塗物などの木工業で多くの収入を得ていたとパンフレットで紹介されていました。
近代以降、大火が無かったこともあり、江戸末期の形式を残した町家がよく残っており、昭和53年には重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けました。
国道19号線で奈良井宿へ
今回は諏訪湖の方から国道19号線を通って奈良井を目指しました。奈良井の道の駅の看板を見つけて駐車場に入ったのですが、この国道に面した駐車場はとても小さくてクルマが満杯でした。
仕方が無いので木曽の大橋の向こう側、線路側にある駐車場に回ってみましたが、こちらも満車でクルマの列ができてしまっていました。待っていても出てくるクルマがいないので、列から離れてみると、すぐに公園になっている部分の際にある駐車場に空きを見つけてクルマを停めました。たまたま停められて運が良かったです。
奈良井の駅前にも駐車スペースがあるのですが、こちらの駅前の駐車スペースも満車です。こちらは地元の人も使うのであまり観光客が長時間クルマを停めるのには向いていないかもしれません。
まずは腹ごしらえ
クルマを停めたらお腹が空いたので、五平餅と野沢菜のお焼きを食べました。
野沢菜のおやきも美味しそうです。やっぱり長野といえば「おやき」です。
こちらが奈良井宿の案内図です。
この中山道の街道にそって南側から上町、中町、下町の三町に分かれています。 昔は中町に本陣、脇本陣、問屋などが配置されていました。
地下道で奈良井宿のある線路の向こう側に行くことができます。
奈良井宿
ここが奈良井宿の始まりです。この場所に立った瞬間にまるで江戸時代にタイムトリップしたかのような町並みで驚きました。
いくら歩いても宿場町が続きます。日本一ということだけあって、確かにスケールが違いました。
この「ナショナル電球」の看板、昭和時代には街のあちこちにあったと思うのですが、今は見ることができなくなってきました。とても懐かしいです。
宿場町が長いこともあり、意外と観光客の密度は低いです。
途中から道幅が広くなりました。NHKの朝の連続テレビ小説、「おひさま」でもこちらはロケ地として使われたのですが、そのテレビで放映されていた雰囲気に近づいてきました。
途中に上問屋史料館というところがありました。
途中の案内板に、平成23年度に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「おひさま」のロケ地の案内板がありました。
この「おひさま」も面白いドラマでしたので、こちらで紹介しています。
撮影当時は200メートルにも及ぶ大掛かりなセットが鍵の手から鎮神社の間に作られたのだそうです。
塩尻市奈良井宿探訪マップがあります。
飴屋の村上堂はこちらの中村屋が使われたそうです。ドラマの雰囲気と随分違う感じがします。
ここが上町と中町の境にある「鍵の手」といわれるクランク形状の道路です。この「鍵の手」は下町の桝形と同様に、宿場内に道の屈曲を作り、敵の直進と見通しを防ぐという宿場町を守るための施設として機能していました。
こちらが飴屋の村上堂として使われた中村屋です。塗櫛の問屋を営んでいた天保年間(1830~1843)の建物です。2階を少しせり出した出梁づくりなどの奈良井の民家の特色を良く残しています。
この辺で奈良井宿が終わりになって来ます。
なぜ、あれだけ駐車場が混雑していたのか、その一つの理由は単にお盆で混雑していただけではなく、この日は奈良井鎮神社例祭の8月12日に重なったことが理由だったようです。
神社には射的やクレープなどの屋台が出ていました。
鎮神社です。奈良井宿の鎮守でもともとは鳥居峠に建立されていました。しかし、戦火で焼失してしまい、現在の場所に移されたと言われています。
正直、今まで見た宿場の中でも、規模的に最もインパクトがありました。歩いている人が昔の服を着ていたとしたら間違いなく、昔の世界に入ってしまったと勘違いすると思います。普通であれば何軒かは新しい家に立て替えていてもおかしくないと思うのですが、これだけ古い家が残されているということは素晴らしいことだと思います。
周辺の地図を掲載しておきます。
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