先日、安曇野の「ちひろ美術館」に併設されている公園内の一角にある「トットちゃん広場」というところに行きました。ここで、トモエ学園の存在を初めて知りました。トモエ学園の説明を読んでいるうちに、自分が通っていた明星学園という学校のことを思い出しました。
今から40年前後前、東京都三鷹市にある明星学園という学校に通っていました。小学校から高校まで通ったので、通算で12年間通ったことになります。小学校は1学年2クラス、中学校は1学年4クラス、高校は1学年6クラスでした。中学の2クラス分、高校の2クラス分は外から受験して入学する生徒の枠になります。学年は小学校は1年から通番で高校3年生を12年生と呼んでいました。一貫教育をしていることの表れです。
通学している当時はその学校の凄さが分かっていななかったのですが、今から振り返って見ると、その後の自分の考え方に大きく影響を与えていると思います。
小学校に入学したときは、無着成恭先生がいらっしゃいました。TBSラジオで放送されていた全国子どもでんわ相談室で回答されていて、山形弁が強烈に印象に残っている方です。よく名前で声をかけていただいていました。
算数
算数で足し算や引き算を教わるときはタイルを使いました。遠山啓先生が提唱した水道方式に準拠していたと思います。タイルには正方形の一のタイル、一のタイルを5個並べた五のタイル、10個並べた10のタイル、10のタイルを横に並べて正方形にした100の束があります。
このタイルを組み合わせて足し算や引き算をします。今でも8プラス5を計算するときは、8は5の束と3のタイル、5の束が2つで10、そして3が余るから合わせて13と頭の中で描きながら計算しています。「わかるさんすう」という教科書を使っていました。こどもの頃に日本テレビ系列で放送されていたカリキュラマシーンでも同様の教え方をしていたと思います。
中学校の数学で印象に残っているのは、負の数に関する授業です。モーメンタム実験装置というものを使って、右回り、左回り、下方向の力、上方向の力を組み合わせて、何で-1×-1は+1になるのかということを丁寧に教えてくれます。教えてくれるというよりは、生徒に考えさせたり議論させたりする中で答えを導かせるようなイメージです。
公立の学校であれば、-1×-1は+1になるという公式を教えてくれると思うのですが、明星学園では何故そうなるのかに重点を置いて教えてくれました。
従って、学習指導要領に従ったスピードでは進みません。高校までの数学で集合や確率については習っていないような気がします。
国語
小学校の国語の教科書は学校オリジナルだったと思います。小学校の国語はあまり興味が無かったせいか、記憶には残っていません。中学校の国語では、梶井基次郎の檸檬という作品について学んだことをとてもよく覚えています。
あと、小学校の社会科の先生に日本史を教えてもらった際は、縄文時代や弥生時代を特に重点的に教えてもらいました。さきたま古墳群まで連れて行ってもらったこともよく覚えています。また、中学校だと思うのですか、ゲルマン民族の大移動というキーワードが今でも強烈に印象に残っています。
校則や成績
高校生まで制服は無く、また校則も必要最低限に限られていたのではないかと思います。よほど、常識から逸脱していなければ注意されることはなかったような気がします。
中学生までは期末テストを受けたり標準偏差がどうなっているかを気にしたりということもありませんでした。全ては生徒自身がやる気になるかいなか、自主性が重んじられていました。したがって、高校卒業の時期に大学への進学を考える生徒はそれほど多くは無く、美術、音楽といった芸術系の才能を開花させる生徒も多かったと思います。
この12年の教育でしっかりと考える癖をつけさせてもらいました。なんでこうなっているのか?と考える機会が人よりも多いように思います。少々、理屈くさいところもありますが、自分で考えて得た事柄は、単に丸覚えするよりも記憶に定着してくれているような気がします。現在はこの明星学園で受けた教育に大変に感謝しています。
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