10月14日に日経新聞が、「富士通株式会社が子会社のニフティ株式会社の個人向けISP接続事業を売却する手続きに入った」という報道をしました。しかし、富士通としては当社が発表したものではないとコメントしています。
ニフティの前身は1986年2月に富士通と日商岩井が合弁会社として「株式会社エヌ・アイ・エフ」を創業したのが始まりです。1987年4月からパソコン通信の「NIFTY-Serve」を開始しました。
@niftyの思い出
私自身、1990年くらいからNIFTY-Serveの会員でしたので、よく当時のことを覚えています。インターネットしか知らない世代には、パソコン通信と言われてもピンとこないのではないでしょうか。
当時の家庭におけるデータ通信環境は普通の電話線にモデムという装置を使って、300bps,1200bps、2400bpsといった速度が一般的でした。電話線上にアナログでデータを通信するための波形を送って通信をしますので、ノイズなどの影響でデータ内容が化けることがあります。これを訂正するためにMNP4という規格がありました。
さらに、データを事実上、高速化して送受信するために、データを圧縮するMNP5という規格もできました。
ただ、こんな仕組みが登場しても、スピードは今に比較すると非常に遅いので、基本的に文字のやり取りしかしていませんでした。
パソコン通信でアクセスポイントの電話番号に接続して通信が確立すると、IDとパスワードを聞かれます。ここでログインをするとメニュー画面が表示されて、番号を入力して木構造になっているメニューをたどっていく形になります。
また、メニューをたどっていくのが面倒くさい場合には、「go fpcdiy」といったコマンドを入力して目的のところに直接行くことも可能でした。
そんなパソコン通信をする目的は情報の入手と無料のフリーソフトの入手です。フォーラムと呼ばれていた仕組みは今の2chのような掲示板で、色々と区分されたテーマに従って、かなり詳しい情報の交換ができました。また、お金を払っている会員しか利用ができないため、比較的、情報の精度も高かったと思います。
そんな形で1995年には会員数が100万人になります。日本電気が運営していたPC-VANを抜き、日本で最多の利用者がいるパソコン通信になりました。
その後、インターネットが普及したことにより、パソコン通信は徐々に収束して行きました。NIFTY-Serveは富士通が経営していたインターネットプロバイダサービスのInfowebと統合し、@niftyに生まれ変わります。
その後、パソコン通信事業は収束して現在のインターネットプロバイダサービスを中心に営業するようになりました。私自身はパソコン通信時代からの名残で今でもプロバイダは@niftyを使っています。
他のプロバイダに移行しても良かったのですが、主にメールアドレスを変更したくないがためだけに使い続けていました。
今後、もしも他の会社が買収をした時に、プロバイダを使っている利用者から見たときの変更点がどうなるのかが気になるところです。
大手のインターネットサービスプロバイダではすでに日本電気がBIGLOBEを日本産業パートナーズに売却をしています。そのときには大きな混乱は耳にしなかったので、利用者から見たときの変化はあまりないのかもしれません。
家電量販店のノジマへ
結局、家電量販店のノジマがniftyを買収しました。今のところ、大きくサービス内容が変更されるようなこともないので少し安心しています。
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