学生のころ電子計算機概論という授業があり、電子計算機センターでプログラムを作って、ユニバックのメインフレームコンピュータで処理し結果を出すという授業がありました。当時利用していた言語は科学技術計算でよく利用されていたFORTRANです。
当時、プログラムを打ち込む時にはパソコンのエディターで打ち込むわけではなく、パンチカードというものを利用していました。こちらのGigazineさんの記事を読んでいて、突然、昔懐かしい時代のことを思い出してしまいました。
当時のカードの写真はないものかと探してみると、こちらのサイトで紹介されていました。
この紙カード一枚でプログラムの1ステップ分となります。もしも文字を打ち間違えると、その紙カードはもはや使うことができません。カードパンチ機で新しいカードをフィードして同じステップを打ちなおす形になります。
もしも、1000ステップのプログラムを作るとすると、紙カードは千枚必要になります。紙カードの順番はプログラムのステップの順番と同じですので、もしも順番を入れ替えてしまうと意図した動作をしなくなってしまいます。したがって打ち終わったカードは輪ゴムなどでとめて順番が変わらないようにします。最悪、紙カードを床に落としてしまったときに備えて、紙カードの束の横からマジックで斜めに線を入れる人もいました。
この紙カードは紙カードリーダーに装着してコンピューターに読み込ませます。かなりスピードで読み込んでいくので、当時は不思議に眺めていました。このデータをJCLでSYSINから入力してコンパイルを実施します。このとき、必ずと言っていいほど、なんらかのコンパイルエラーが発生します。このエラーが発生した行をみると、打ち間違えなどのミスが見つかります。
その行をまた紙カードで打ち直して、またカードリーダーから読み込ませてコンパイルをするという作業を何回か繰り返してコンパイルエラーをなくします。ある行のコンパイルエラーをなくすと、新しいコンパイルエラーが出ることもあるので、なかなか根気のいる作業です。
この当時、すでに日本電気からはPC-9801などのパソコンが発売されていました。ただ、当時はメインフレームコンピューターとパソコンを接続するためのインタフェースが確立していなかったのでしょう。残念ながらパソコンのエディターでプログラムを入力してメインフレームに渡すことが難しかったのでしょう。
今となっては考えられないほど面倒くさい工程が必要でしたが、このときはこれしかなかったので、一所懸命に紙カードを打っていました。懐かしい思い出です。
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