シーサイドラインが逆走して車止めにぶつかった事故の報道を見ていて、子どもの頃の記憶が急に蘇ってきました。立川駅の青梅線ホームは以前は行き止まり式(「コ」の字型)のホームで、新杉田駅と同様にやはり車止めがありました。
車止めに向かって左側が1番線、右側が2番線となっていて、1番線は降車専用、2番線は乗車専用となっていました。
当時の記憶
主に奥多摩の山々へ登山に行くときに立川駅で中央線から青梅線に乗り換えていました。当時はまだ青梅線に茶色の旧型電車が走っていました。ドアから中に入ると、中央部分に縦にポールが立っていて、その周りにリュクサックを積み上げていました。まだ、その頃は国営昭和記念公園ができる前で、西立川駅を過ぎたあたりで立川飛行場の跡地があって電車の中からフェンス越しに跡地を見ていたのを覚えています。荒井由実の曲に出てきそうな光景でした。
立川駅タンク車衝突事故
調べてみると、この一番線では昭和39年当時は現役で使われていた西立川駅付近にある立川飛行場に燃料を輸送するためのタンク車が暴走して、ここに停車していた青梅線の車両に衝突、炎上して付近の商店街も含めた大きな火災になったそうです。(立川駅タンク車衝突事故)
当時の写真がこちらのブログに掲載されていました。
【ページが削除されたのでリンクを外しました】
火災があった商店の跡地に2012年まであった第一デパートができたのだそうです。(その後、立川タクロスかできています)
現在の立川駅
現在の立川駅は島式のホームが4つあって、1番線と2番線はやはり青梅線用に割り当てられています。しかし、昔のような行き止まり式のホームではありません。
いつのまにか変わってしまったのかを調べてみました。すると、1982年に駅ビルWILLが完成していることが分かりました。今のルミネです。
とすると、この工事が開始された頃に一番線が閉鎖されてホームが取り壊されたのでしょう。この頃からは立川駅は1番線が存在せずに2番線から始まっていました。当時の青梅線の乗り場は2番線だったので、あえて1番線から振り直さなくても良いという判断があったようです。
しかし、2007年に改めてホームの番号を1から振り直しました。
今では行き止まり式のホームがあった痕跡はまったく見当たらなくなってしまったと思います。ネットでは一部に写真などが残されていますが、Yahoo!ブログの閉鎖などがあれば貴重な史料が失われてしまいます。徐々に人々の記憶の中からも消えていってしまうのでしょう。
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