松任谷由実さんというと住んでいるところは出身地の八王子か最近の世田谷というイメージがとても強いですが、ANAサウンドテイクオフという1983年のラジオ放送を聞いてみると、結婚当初は杉並区の善福寺にあるマンションに住んでいたのだそうです。
松任谷由実さんが八王子の実家を出て最初に住んだのが善福寺だったということのようです。松任谷正隆さんの出身地を調べると、東京都杉並区となっているサイトがあったので、その関係で善福寺という選択になったのかもしれません。
当時は新婚だったので、松任谷正隆さんが仕事で帰るのが朝になっても待っていて、ベランダから見た朝焼けの景色がとてもきれいだったと話していました。
善福寺公園の周辺が杉並区善福寺ということになりますが、高級住宅地なので、あまり背の高いマンションの印象はありません。きっと、青梅街道沿いに建っているどこかのマンションだったのかもしれません。
ネットで検索してみると、1977年の6月か7月頃、松任谷由実さん、松任谷正隆さん、愛犬のボギーと一緒に写っている写真がありました。東京都杉並区善福寺のマンション8階のお二人のお宅にて撮影されていると記載がありました。
トダカ善福寺コートというところの8階に松任谷由実さんが住んでいたという情報もありましたが、事実か否かの確認までできませんでした。青梅街道沿い、上石神井駅入口交差点の近くの大きなマンションです。
そして、1978年3月の紅雀、1978年11月の流線型80、そして1979年7月のOLIVEへと続きます。この頃のアルバムから松任谷由実さんの曲を聴くようになりました。
その後、1983年元日に放送されたFM東京のサタデーアドベンチャーを聞きました。提供していたのはオーディオメーカーのアイワだったと思います。このときも松任谷正隆さんをゲストで迎えての対談で、仲の良いお二人の話しを聞けて良かったです。
【2022年9月24日追記】
改名時の苦労をテレビで紹介
荒井由実から松任谷由実に改名したときの苦労話を9月25日放送の「関ジャム完全燃SHOW」で本人が披露しました。
1976年11月に4枚目のアルバムとなる14番目の月を発売、同じ11月の29日に松任谷正隆さんと結婚、「松任谷由実」に改名しました。「荒井由実」時代はすごい人気であったにも関わらず、結婚した途端に潮が引くように人気も落ちて、動員も落ちたとテレビで振り返っていました。
1978年には結婚後最初のアルバムとなる紅雀というかなり渋めのアルバムを発売しています。
- 9月には帰らない
- ハルジョオン・ヒメジョオン
- 私なしでも
- 地中海の感傷
- 紅雀
- 罪と罰
- 出さない手紙
- 白い朝まで
- LAUNDRY-GATEの想い出
- 残されたもの
あまり、商業的には成功というわけではなかったようですが、この中では、LAUNDRY-GATEの想い出など、好きな曲が詰まっています。
この後は薬師丸ひろ子さんの映画とともに「守ってあげたい」が大ヒットするなど、今でも第一線のアーティストとして活躍されています。
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