三鷹駅と武蔵境駅の間にたくさんの電車が留置されている車庫がありますが、その手前に南北を横断できるとても長い跨線橋があります。この跨線橋がもしかすると取り壊されることになるかもしれないという報道がありました。
5月最後の土曜日に現地まで行ってきました。こちらが三鷹駅の南口になります。中央のバスが停まっているところは、ジブリ美術館行きのバスが発着しています。
三鷹駅から陸橋へ
できるだけ線路沿いを武蔵境駅の方向に歩いていきます。すると、跨線橋の階段が見えてくるはずです。
この跨線橋ができたのはなんと昭和4年、90年ほど昔のことになります。三鷹電車庫が建設されるにあたり、地域が南北に分断されてしまうことから跨線橋が設置されました。三鷹駅ができたのはその翌年のことになります。
注意書き
跨線橋にはこのような注意書きがありました。
通行される皆様へ
この三鷹こ線人道橋はJR東日本が管理している橋です。1929年(昭和4年)に古い設計基準で建設されています。このため、地震等の災害発生時には通行止めとなりますので、他の道路へ迂回していただくようにお願いします。
迂回の道路につきましては三鷹駅寄り「堀合地下道」を利用ください。なお、今後、老朽化等により通行できなくなる場合があります。ご理解とご協力をお願いします。
東日本鉄道株式会社八王子支社
三鷹市では譲り受けるのが困難
現在の建設基準に合わせて橋を強化すると、相当の費用が必要になります。JR東日本はこの捻出が難しいので、三鷹市にこの人道橋を無償で譲る調整をしていました。しかし、三鷹市からもやはりその費用の捻出の問題から断念する回答が2021年1月にあったため、撤去される可能性が出てきています。
太宰治のお気に入り
この陸橋(跨線橋)はその昔、太宰治も気に入っていてよく来ていたそうです。太宰治も昭和14年から三鷹市で暮らしていました。ちょうどこの跨線橋ができてから10年目に転居してきたことになります。
俺たちの旅
実は古いドラマになりますが、中村雅俊さんが主演していた「俺たちの旅」でもこちらの跨線橋は登場します。
陸橋の上へ
それでは階段を登ってみたいと思います。
階段のコンクリートもかなり傷んでいます。
こちらが跨線橋です。全長は90メートルになります。第二次世界大戦では三鷹電車庫は米軍の空襲を受けていますが、この跨線橋は大きな被害はありませんでした。その後、大きな改修は1968年に行われているようです。すでにそれも50年ほど前となります。
古いレールを多用
この橋を作った当時は鋼鉄の資材がとても貴重であったため、古いレールがたくさん使われています。レールの刻印をみると、1907年から1923年にかけてのレールが使われているようです。今回、刻印を読み取ることができる場所があるか探してみたのですがわかりませんでした。
大時計が撤去
一番驚いたのはこの上にあった大きな時計が外されてしまったことです。やはりそのまま設置していると危険性があったのでしょうか。台座の部分だけが残っています。
こちらが大時計があったときの写真です。
三鷹電車庫
こちらが三鷹電車庫です。
こちらが三鷹駅の方向になります。ずいぶん背の高いビルが増えました。
中央線の快速電車が来ました。
子どもが小さいとき、ここから電車の運転手さんに向かって手を振っていたら、運転手さんが手を振り返してくれることがありました。
一部は修復済み
ボルトは新しいものに取り替えられていました。
徐々に夕方が近づいてきます。この陸橋から見る夕日はとてもきれいです。
親子連れが増えてきました。たくさんの電車が行き来するだけではなく車庫も見えるのでやっぱり子どもには嬉しいスポットです。
この先は高架線になっています。本当は立川まで複々線にする話もあったのですが、今はなくなったのでしょう。
徐々に夕方が近づいてきました。
また、中央線の電車です。
跨線橋の部材を細かく見ていくと、このようにかなり傷んでいる箇所があります。
右側に側線がありますが、この先、中島飛行機(現在はグリーンパーク)まで電車が走っていました。グリーンパークには一時期、公式の野球場が設置されている時期もありました。
北側の跨線橋の先にはこのような駐車場があります。昔、ここには釣り堀があったような気がします。
帰りは線路の北側を通って三鷹駅まで行きました。
やはり格好の良い跨線橋です。
跨線橋には武蔵野市のムーバス、境・三鷹循環のコミュニティバスが通っています。バス停はその名も跨線橋前です。
この辺に模型のトリオ商会があったと思ったのですが、ずいぶん前に閉店になっています。建物もなくなっていました。調べてみると1990年台の前半に閉店したようです。当時、吉祥寺のターミナルエコー跡にできたユザワヤが鉄道模型を扱ったのでお客さんが流れてしまったのかもしれません。そのユザワヤも今はキラリナ吉祥寺になってしまいました。
子どもの頃は跨線橋で電車を見てトリオ商会で鉄道模型を見るのが休みの日の日課でした。
元気があるときは吉祥寺のハモニカ横丁にあった歌川模型、西荻窪駅北口近くののニットー教材や地蔵坂付近のナカマ模型まで遠征していたことも懐かしいです。これらのお店も今はありません。
跨線橋の方向を振り返ってみました。
できれば、この跨線橋はそのまま残してほしいと願っています。たとえば、クラウドファンティングをして資金を集める等、なんらかの対策を実施できないものでしょうか。
こちらが以前の跨線橋のレポートです。
【2021/09/11追記】
一部塗装
跨線橋の北側の一部が塗装されていました。
できれば、このまま保全のための活動が行われることを期待しています。
この日は土曜日の午前中だったのですが、跨線橋の上はたくさんの家族連れで賑わっていました。
三鷹市も老朽化して利用率が低くなった箱物の施設を維持するよりも、こちらの跨線橋周辺を整備して、地元に人や観光客を誘致した方がずっと今後の発展につながると思いますので、是非、存続に向けた対応を期待します。
【2021/09/14追記】
三鷹市はJR東日本の撤去の方針を受け入れへ
残念ですが、三鷹市の公式サイトで「JR東日本の判断を受け入れることとしました」という三鷹市の見解が掲載されました。
跨線橋の一部を譲り受けて保存をすることや、映像や画像で記録を残すとのことです。残念です。
【2022/02/12追記】
一部保存で決定
三鷹市が橋桁や階段の一部を保存することでJR東日本と合意したことを発表しました。階段の一部を現地に残すほか、橋桁の一部を跨線橋の近隣に移設して保存することなどで合意に至りました。保存する階段は南東にある太宰治の写真が残っている部分を保存する方向で調整を進めます。また、保存費用は三鷹市が負担します。橋桁の保存範囲や保存場所は今後の検討課題です。
【2022/10/28追記】
久しぶりに跨線橋へ
朝晩冷え込む季節となり、跨線橋のことが気になって、再び三鷹に行ってみました。
南口に出て線路沿いに跨線橋へと歩きます。跨線橋が見えてきました。
現時点では取り壊しの掲示等は出ていません。登ってみることにします。
やはり老朽化のためにかなり傷んできていることが分かります。
三鷹の電車庫には朝のラッシュアワーが終わったあとの中央総武線が一休みに行きます。
ちょっと雲が多かったので、富士山は残念ながら見えませんでした。
まだ朝だったので人がいませんでした。
北側の柵はペンキが塗り直されています。
昔、釣り堀があった場所にできた駐車場も綺麗になったような気がします。
三鷹駅北口のタワーマンションです。ずいぶん、三鷹の景色も変わりました。
できれば、このまま保存されて欲しいのですが、今後の動きが気になります。
【2023/09/24追記】
跨線橋の撤去工事開始のお知らせ
残念ながらJR東日本から2023年12月ごろに跨線橋の撤去を開始することが発表されました。
ということで、日曜日に跨線橋に行ってみました。やはり、発表をうけて、いつもより沢山の人が来ていました。しかも、混雑を予想したためか、警備員の人も見張っていました。
確かに橋が老朽化しているので、沢山の人か跨線橋に押し寄せると大変な事故につながるかもしれません。
今回、橋の上からぼんやりと電車を眺めていて感じたのは、跨線橋の下を電車が走り抜けるときに、ほとんどの電車が軽く警笛を鳴らしていたことです。跨線橋の上で見ている電車好きの子どもたちへのサービスなのだと思います。
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