1959年1月6日に武蔵野市役所で武州鉄道の発起人会があり建設計画が発表された日だというニュースがありました。武州鉄道という名前、全く聞いたことがなかったのですが、今では存在しない会社で、当時は吉祥寺駅から秩父駅まで鉄道の開業を目指していたのだそうです。
明治時代や大正時代のことならいざ知れず、昭和34年と今からそんなに古くない時代にそんな計画があったのか?と驚きました。
その記事によると、ルートは下記の通りだったようです。
- 吉祥寺駅
- 三鷹
- 小金井
- 鷹の台
- 大和(東村山市)
- 村山(武蔵村山市)
- 箱根ヶ崎(瑞穂町)
- 東青梅(青梅市)
- 名郷(飯能市)
- 根古谷(横瀬町)
- 御花畑(秩父市)
このルートを見ると、吉祥寺から井の頭通りに沿って行って、五日市街道沿いを走り、玉川上水沿いで鷹の台、その後は青梅街道の方へ進路を向けて、大和、村山、箱根ヶ崎、東青梅と走り、名栗川方向に進路を向けて名栗川沿いに名郷、正丸峠あたりをトンネルで抜けて、国道299号線沿いに向かうルートだったのではないか?と想像しました。
ただ、東青梅から名栗へのルート、名栗から国道299号線に抜けるルートは間に山があるので、トンネルを掘ったとしたら大変な工事になったと思います。予定の建設費が当初は41.5億円、後に56.3億円では少なすぎるといった声が当時あったことがWikipediaでは紹介されています。(西武秩父線は武州鉄道の1/3にあたる約19Kmの建設で80億円かかっていることが紹介されているサイトもありました)
今の西武秩父線をよりもかなり西側を通るルートです。鉄道不毛地帯の武蔵村山市も通るコースなので、もしも出来上がっていたら、ずいぶん便利になっていたでしょう。
西武鉄道が飯能から秩父駅まで西武秩父線を全通させたのが1969年ですが、もしも武州鉄道が先にできていたとすると、秩父へのアクセスは大幅に変わっていたかもしれません。もしかすると、井の頭線と接続されて、渋谷発、秩父行きなんていう列車が誕生していた可能性もあります。(途中、モノレールで建設するという考えもあったようです)
武州鉄道は1959年1月14日に免許を申請していましたが、この免許をめぐふ汚職事件に発展して、鉄道建設に着手されることもなく、1975年に免許は失効しています。
Wikipediaには武州鉄道の本社があった場所の住所が書かれていたのですが、その場所は吉祥寺、中道通り沿いのおしゃれなレストランになっていました。
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