5年半にわたって保存修理工事を実施してきた四国の愛媛、松山市の道後温泉本館ですが、2024年7月11日に全館営業を再開することが明らかになりました。現存する本館は明治27年に当時の伊佐庭如矢・道後湯之町町長が「100年後までもよそがまねできないようなものを作る」と尽力し、老朽化していた施設を木造三階建てに改築したものです。明治27年の当時、小学校教員の初任給は8円でしたが、改築には総工費13万5千円という巨額をかけました。(当時としては、あまりにも莫大な予算であったため、町民などにより町の財政が傾きかねない無謀な投資だと反対運動が激しさを増したが、伊佐庭は決定を貫き通したとWikipediaでは紹介されています)
なお、文豪・夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任したのは、本館の完成した翌年でした。漱石はその建築に感嘆し、頻繁に道後温泉本館に通ったとのことです。
今回はその明治の大工事以来の大規模な工事でした。その明治の大改築から100年以上が経過して徐々に老朽化が進んでいました。
約3000年の歴史を誇り、日本最古といわれる道後温泉のシンボルである「道後温泉本館」は、平成6年12月に公衆浴場で初めて、国の重要文化財に指定されています。共同浴場番付でも東の湯田中温泉大湯と並び西の横綱に番付されているほか、2009年には経済産業省の近代化産業遺産にも認定されました。
以下の四棟が国の重要文化財に指定されています。
- 神の湯本館棟- 1894年(明治27年)建立。
- 設計施工:坂本又八郎
- 1階:脱衣場、2階:大広間、3階:客室
- 屋上に宝形造の塔屋(振鷺閣)
- 太鼓(刻太鼓)を鳴らす場所
- 朝6時の開館時および正午、午後6時
- 1996年に環境庁の日本の音風景百選に指定
- 3階の北西端には夏目漱石が使用した「坊っちゃんの間」
- 又新殿・霊の湯棟 – 1899年(明治32年)建立。
- 設計施工:坂本又八郎
- 皇族の入湯用に建築
- 日本で唯一の皇室専用浴室
- 御影石の最高級品・庵治石を使った浴槽
- 控え室、トイレ等が完備
- これまでのべ10人の皇族が入浴
- 1952年を最後に使用されていない
- 霊の湯の切符を買うとガイドの説明つきで見学可能
- 2階に「玉座の間」
- 玄関棟 – 1924年(大正13年)建立。
- 南棟 – 1924年(大正13年)建立
その後、平成31年1月から営業を続けながらの保存修理工事を実施し、工事自体は2024年12月まで実施される予定です。工事開始前の試算では、総工費は約20億円となりました。工事では、耐震化のための構造補強や屋根工事等を行われました。本館の建物は年数の経過とともに緑青が発生していた銅板の屋根の葺き替え工事も完了し、銅色に見える屋根の外観を鑑賞できるようになりました。このたび、工事完了に先立ち休憩室を含めた全館で営業を再開することになりました。
既存の個室(定員2~6人、合計8室)の利用率が高く、近年増加しているインバウンドの需要も見込むことができるため、今まではバックヤードとして利用していた本館三階の2室を休憩室として整備、貸し出すことになりました。新たにオープンする個室は、「しらさぎの間」と「飛翔(ひしょう)の間」です。しらさぎの間は広さ19畳、定員18人で料金は90分6千円。飛翔の間は12畳半、定員10人で同3千円(別途入浴料が必要)となっています。
どちらの部屋にも貸浴衣・貸タオルが付いていて、部屋からは太鼓櫓の屋根上に設置された道後温泉のシンボルともいえる白鷺(しらさぎ)像も眺めることができます。また、休憩室の利用者には、シラサギをかたどったクッキー生地に地元特産の高級かんきつ「紅まどんな」のジャムを使ったクリームをあしらった「道後湯上り乃しらさぎ」が振舞われます。
新たな休憩室は各部屋1日5組限定、事前予約制で、予約サイトから前日まで受け付けています。6月3日、受付開始です。
当日の予約は電話(089-932-1126)での受付になります。
道後温泉本館はスタジオジブリの作品「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルの一つになっているとも言われています。実際に映画の製作陣が道後温泉に宿泊し、本館のスケッチを行った記録もあります。しかし、モデルとなったのはこの道後温泉だけではなく、湯屋の前の赤い橋は四万温泉の積善館、街のモデルは渋温泉、江戸東京たてもの園に展示されている子宝湯もモデルになったと言われています。
こちらは四万温泉の積善館を訪問した時のレポートです。
こちらは江戸東京たてもの園の子宝湯を訪問した際のレポートです。
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